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昆虫掲示板 : 荒巻さんによる虫屋誕生記 3

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荒巻さんによる虫屋誕生記 3
第10回 虫屋誕生記 (その8)
久留米虫だより No.189 2005.10.23発行

[戦後篇] 昭和56年(1981)から昭和59年(1984)

昭和56年(1981)

この年、初めて九州本土以外の離島・奄美大島へ有江敬助会員と採集旅行。全くの素人の悲しさ、わずか40種余のカミキリを採集したのみだったが、6月下旬という奄美の夏の虫の最盛期でもあり、全国から十数人の虫屋が来島、以来、当時知り合った甲虫屋の半数は(2005年)現在でも交遊がある。

(7月1日奄美大島宇検村スーパー林道にて、左から有江、荒巻)
















昭和57年(1982)

前年夏、岩橋正会員と共に、大船山登山口ゲート前で知り合った岩本常夫氏とは、その後、県外会員としてはもっとも親しく交遊し、この年の11月、九州の虫屋を糾合して、年一度の集いを始めようと相談し、第1回を「温泉つかって酒飲み虫談会」と銘打って九重長者原で開催した。参加者は13名であった。

(1985年11月4日第4回温泉つかって酒飲み虫談会)
















(第4回温泉つかって酒飲み虫談会出席者)
















第2回は、熊本市の三宅純男氏のお世話で、熊本県矢部町の内大臣で挙行されたが、この時は参加者は僅かに4名。それもそのはず、時期は11月下旬で、あたかも、椎矢峠方面は積雪でまったく通行不能という状態であった。
この会は、その後名称を「九州虫屋連絡会」と変え、23年を経て現在もなお続けられ、25回を数える。最近はほぼ春・秋の年2回開催し、回を重ねる毎に参加者も増え、秋の多い年など40名近くの虫友が集う楽しい会となっている(註:2017年11月18日には九重川底温泉民宿日向で35名の出席の下、第39回が開催された)。

(1987年11月22日第6回温泉つかって酒飲み虫談会)

















(第6回温泉つかって酒飲み虫談会出席者氏名)
















また、この年、最も印象に残った想い出は、有江氏との阿蘇根子岳への糞虫採集行で、帰宅後、氏の自宅で夕食を御馳走になった時のことである。一緒に、カレーライスを喰っている最中、頭上の電灯になにやら黒い物体が飛来し、真下の彼のカレー皿の上に次々と落下した。突然「アッー」と彼が叫んで、玄関まで飛んで行った。なんと、小型の糞虫が粗い目の虫籠から抜け出して、次々と4頭も彼のカレーの中に飛び込んでいたのである。これには、いかにも「カレー」が牛糞に見えて、いっぺんに食欲が失せ、一同大笑いとなった。

昭和58年(1983)

4月16-17日、むし社の藤田宏氏から旧知の岩橋正氏に英彦山方面への案内の依頼があり、野田亮氏に私を加えた3名の案内で、豊前坊・北岳方面にルリクワガタ採集に出かけた。

(4月17日ルリクワガタ採集行の後、英彦山実験所にて、右から2人目は当時所長の中條先生)

















藤田氏は、雲仙(註)・多良岳・菊池方面へのルリクワガタ採集行の続きで、雲仙では、今坂正一氏宅に滞在して、連日泥だらけになって帰ってきたとか(今坂氏後日談)。

(註:1982年に今坂の採集品を元に、藤田氏と市川氏によるルリクワガタ雲仙亜種 Platycerus delicatulus unzendakensis Fujita et Ichikawaが新亜種として記載され、ぜひ、自身でも採集してみたいと言うことで藤田氏の調査行となった。)

(ルリクワガタ雲仙亜種の写真: 藤田・市川, 1982. ELYTRA, 10(1)より引用)
















まったくのルリクワガタ初心者の3名は、一泊二日の採集行で、彼にイロハから手にとって教えて頂いたのだが、氏以外は全く採集できず、二日目の帰路寸前に、かろうじて野田氏が2〜3個体を採集しただけであった。

しかし、この時が吾々の「クワガタムシ」採集元年であり、以来、採集用の十字鍬を別注し、その後、野田氏が佐賀平野でオオクワガタを材崩しで発見、ブームの先魁となる。

(KORASANA52号1985表紙のオオクワガタ、描いたのは森田さん)
















冬場の採集行は、それまで、もっぱらオサムシ掘りに専念していたものだが、以降はクワガタ掘りに転向、十年余は色々と楽しい想い出がある。詳しくは4回に亘り、本会誌に発表している。改めて数えてみると、36名の虫仲間をクワガタ採集行に案内・同行している。

昭和59年(1984)

国内では島原半島特産種である「トゲムネミヤマカミキリ」の長崎県千々石町への採集行は、この年が初回。

(トゲムネミヤマカミキリ、左が♂、右が♀)























以降、1991年まで毎年1、2回は出かけ、最近も続けている。この地も、一人での採集行は一度もなく、その顛末は石蔵拓会員が発行する天牛通信(2004)と、千葉市在住の丸諭氏による千葉虫の会会誌(2000)に詳細を発表している。後者の文章においては、引用文献等で今坂正一会員に協力頂いたので、改めてお礼申し上げる。

(1984年9月29日長崎昆例会で、左から荒巻、今坂)















以下続く

第11回 虫屋誕生記 (その9)
久留米虫だより No.190 2005.12.23発行

「戦後篇」虫屋再開5年目、昭和59年(1984)つづきから昭和60年(1985)

昭和59年(1984)つづき

この年は、1月16日熊本県小国町のオサムシ掘りに始まって、12月18日佐賀県太良町の多良岳方面でのクワガタ採集行で終わり、出勤回数52回だった。

行動範囲は、福岡県では高良山・英彦山系・日向神・立花山、佐賀県脊振山系・多良山系・鳥栖市朝日山、長崎県島原半島・島原市・千々石町・雲仙、大分県黒岳・大船山林道・大船山・湯布院塚原・飯田高原・志高湖周辺・前津江村・内山渓谷・別府市内成、熊本県椎矢峠・三方山林道・阿蘇仙酔峡・小国町、宮崎県門割林道・椎葉村、山口県光市などを転戦、そのほとんどがオサムシとカミキリの採集行。

この中で、最も印象に残っているのは、ルリクワガタの仲間と、モンクロベニ・トゲムネミヤマの2種のカミキリムシ、初めて採集した門割林道でのヒメオオクワガタだった。

<モンクロベニカミキリ盛衰記>
当事、九州本土では非常に珍種であった同種を採集すべく、5月下旬の或る一日、大分県庄内町黒岳で採集していた数人に、別府市の岩本常夫会員が案内するとの事で、彼を先頭に小生が続き、後続に数台の車を金魚の糞よろしく連なって、現地に向かって出発した。

(KORASANA54号1986表紙のモンクロベニカミキリ、森田画)






















別府市内成の日東ゴルフ場付近の雑木林には、櫟林に囲まれた中にカシワの低木が有り、前年伐採されて春先に芽生えた新芽や、広いカシワの葉っぱの上に、目も覚めるような赤色地に烏帽子状の黒紋を持つ本種を見いだして採集した。あの時の感激は今も忘れられない。

(1984年5月29日由布岳にて、左から岩本、荒巻、本田、南)
















本種の冬場での採集は、過去一回だけ足立一夫氏が山口県で記録しており、手頃な古木を削ってみたが一頭も採集できなかった。案内して頂いた岩本氏に一度採集したいと頼んでいたが、やっと、3年目の12月になって連絡があり、さっそく駆けつけ、小枝を割って次々と採集、どこを割っても同じように出てくることから、金太郎飴採集と名付けた。

その後、くだんの場所では、対馬から移入された材からすごい数のハラアカコブカミキリが発生して土着。
所有者は椎茸のホダ木に徹底的に消毒を行い、同時に採れていたツシマムツボシタマムシ、クリストフコトラカミキリ、ミドリカミキリなどと共に、全く採れなくなった。

採集したことのない同好の友人達から、毎年のように、何とか採れないものかと聞かれたものであるが、現在では絶滅状態と考えられる。

昭和60年(1985)

今年は、1月5日塚原での材採集に始まり、12月31日の佐賀・筑後両平野のオオクワガタ採集行に終っている。出勤回数は60回76日を数えた。小生のオオクワガタ冬季採集元年に当たる。行動範囲は、前年度出かけた地域に加えて、福岡県筑後平野・宇美町、鹿児島県屋久島、群馬県伊香保・榛名湖畔。

榛名湖畔へは業者10名・県職4名との現地視察旅行で、バス乗り換えのわずか15分の間に、ノリウツギ花上から榛名湖畔を基産地とするフタコブルリハナカミキリを、初めて採集した想い出の地である。採集個体は、その後、黒岳で採集した銅金色の個体とは違って、和名通りの本当にルリ色のカミキリだった。

屋久島への初めての採集行は、6月20日から25日まで、岩橋 正氏が同行。

小生の車で渡島、鹿児島のフェリー乗り場で知人の緒方 健君と会う。
当時、彼は九州大学の学生で一人旅、運転免許証も持たないと言うので、同行を奨めた。なんと、背中に30kg程の荷物を背負い、コメツキムシ採集に宮ノ浦岳を目指すと言う。一ヶ月に35日は雨が降ると言う屋久島だが、まだ梅雨も上がっていないと言うのに、幸いなことに一度も雨に遭わなかった。

緒方君の案内で、当時、食樹が解っていなかったカノミドリトラカミキリをマルバニッケイから採集できた。
安房から車で小杉谷まで、車を置いて森林鉄道ぞいに登坂、三代杉・ウィルソン株・夫婦杉・縄文杉を経て、5時間余りで高塚小屋へ。高地では、わずかにヤクシマセンチ・ヤクコブ・ヤクヨツスジハナが採れたのみ。その昔、猿三千、鹿三千、人三千と言われた山紫水明の当地で、平地での採集はカミキリだけで34種であった。

(10月10日大分県祖母山麓にて、左から三宅、荒巻)
















第12回 虫屋誕生記 (その10)
久留米虫だより No.193 2006.10.23発行

「戦後篇」虫屋再開7年目
昭和61年(1986)

前年12月30日、独身の気安さからか、別府市在住の岩本常夫会員から「オオクワガタ」の採集に案内して頂きたいとの連絡があった。直前に出かけた佐賀市の廣川典範会員との採集行の折り、すっかり風邪をうつされて気分がすぐれないからと、断ったにもかかわらず、彼は強行して来久した。

翌31日は2人で採集行に出かけ、この年からオオクワガタの虜となっていた博多の吉武明会員にも連絡を取ってみたところ二つ返事で賛同、正月元日と二日は、この3人で佐賀・筑後の両平野を採集して廻った。

オオクワガタ採集行には、その後同年3月21日までに17回出かけ、詳細は久留米昆会誌に4回に渡り発表した。

この年の採集紀行は、福岡県では、久留米市内および高良山、三潴・城島両町(現久留米市内)、宗像市、筑後市、佐賀県では、鳥栖市朝日山、佐賀平野、多良山系経ヶ岳・中山、大分県では別府市大川内山、東山、豊栄林道、黒岳、大船山林道、九酔渓、臼杵市、長崎県の島原半島、熊本県では、泉村五家荘(現人吉市)、緑川源流大官山林道、宮崎県境の椎矢峠内大臣林道、三方山林道、宮崎県では門割林道、耳川源流など、合計78回79日に及ぶ。

最も印象に残っているのは、堤内雄二会員の案内で、大分昆の総会終了後、同会会員の佐々木茂美・岩本両氏と4名での臼杵市神野への採集行。堤内氏が冬季にニガキの枯れ枝から発見したエゾナガヒゲカミキリを目的にしたものだ。本種は、それまで大牟田市在住の有江敬助元会員が熊本県市房山で採集した一例と、宮崎県延岡市行縢(むかばき)山の記録があるのみで、九州では最珍種であった。材中の本種は触角がゼンマイ状に丸まり、上翅の色合いは一見まったく鳥の糞そっくりで、興味深い。

また、同地は、堤内氏が49年ぶりに九州から再発見したキュウシュウキンヘリタマムシの産地でもある。この元の記録は、1931年、私の師匠であった山内喜三郎(註)氏が、「梅野昆蟲研究所報告」第一號誌上に、祖母山の鞘翅目(1)吉丁蟲科キンヘリタマムシとして報告されている。

11月29,30日には、大分昆の忘年会が緒方町の豊栄林道近くの旅宿で挙行され、途上、川上太朗会員と同行し、初めて有名な竹田城跡を見学した。翌日、当林道入口は施錠されており、許可無くしては入れないとのこと。当時、小生は環境庁自然公園指導員の身分証明書を持っていたので、当地の営林署支所に出向き、所長に面会。許可を頂いて鍵を借り、車を連ねて林道にはいることが出来た。

所長との名刺交換の折り、若い所長の名前が、小生と一字違いの「荒巻健一」氏で、二人で顔を見合わせて苦笑いしたものだ。採集地で、今では考えられないことだが、車が2台ともパンクしたことと、針葉樹の倒木で、初めて「ニセハイイロハナカミキリ」を採集して、大変嬉しかったことを記憶している。

この時の参加者・大分昆の皆様には、大変お世話になり、氏名を列挙して誌上を借りて御礼を申し上げる。敬称略。
中島三夫・三宅 武・佐々木茂美・川崎裕一・阿部俊久・岩尾一宏・玉嶋勝範・岩本常夫・佐藤 朗・千葉 稔・久川 健・堤内雄二・川上太朗。

また、1986年に同行された会員等は以下のとおり。
西部泰治・吉武 明・岩橋 正・廣川典範・大塚健之・本田良太・村田浩平・大本徳造・足立一夫、会員外:日下部良康。

(註:山内喜三郎(1916-1945):梅野昆虫研究所第一助手 学生時代より梅野研に出入りされ、久留米商業学校卒業後、既研究所所員(甲虫専門職)として勤務・研究。研究所閉鎖後、旧満州国に渡満。現地で召集後、遼寧省にて戦病死。出来る限り、氏についての記憶は、今後発表していきたいと考えている。)


第12回 虫屋誕生記 (その11)
久留米虫だより No.196 2007.3.20発行

「戦後篇」虫屋再開8年目昭和62年(1987)

この頃には、佐賀・熊本・大分各県の同好会や、日本鞘翅学会等に入会し、交友関係も広くなり、多くの虫友達と採集に出かけた。 事務局を預かり、会の業務と、再開した昆虫採集に忙しく明け暮れ、自営業の本業が自然とおろそかになった事は否めない。

戦時中の4年間余の佐世保海軍工廠勤務時代の、育ち盛りの栄養失調で、男兄弟5人中、一番短躯矮小で、体力からして長生きは出来ないと考えていたので、学問的なことには一切手を出さないと心に決め、只々、趣味に生きて今日に至っている。

虫採りも三流であるが、交友関係を拡げたためか、毎年毎年何らかの形で昆虫関係の依頼がある。名前ばかりが先走りして実力が伴わないので、いつも身が縮む思いがしている。時々、からかい半分に「有名人」と言われるが、その都度、文字で書けば「遊迷人」の間違いだろうと、言い訳している。

この年、案内を請われるままに、1月12日より3月8日までに8回、12月に3回、筑後・佐賀両平野にオオクワガタ採集行。同行は、岩橋・岩本・廣川・足立・西部・吉武・樫野の各会員。

樫野会員と同行した折、倉庫の軒先に、破損して放置されていたカツラ材と考えられた餅つき用の臼から、多数のオオクワガタの成虫と幼虫を掘り出した想い出がある(虫だより既報)。

3月、本田・足立の両会員を案内して、大牟田市勝立庄原の会員・佐田禎之助氏宅近くの里山にスギカミキリ採集行。当時独身の足立氏は小生宅で夕食後、1人で夜間に再挑戦。「夜には、スギやヒノキの幹に這い回っていた同種を、大量に採集した」と、翌日に報告があった。

4月、足立・井手の両会員を案内して臼杵市へ。九州では珍種のエゾナガヒゲカミキリをニガキの枯木中から成虫採集。持ち帰った材から、翌年2度に亘り、大量に羽化脱出した。

4月下旬〜5月上旬、小野山会員を案内して、英彦山山系の諸所へカエデの花掬い。次いで、泉村(現・人吉市)林道川口線でのツヤハダクワガタの採集行。佐賀組−森・高橋・廣川、大分組−堤内・岩本、福岡組−井手・荒巻が砥用町(現・美里町)で合流。

小生が高知県で別注して頒布した十字鍬を使い、主として放置されたカツラ枯材を精力的に崩し、多数の同種を採集した楽しき想い出の一日だった。

5月、黒岳・大船山林道・猪ノ瀬戸・別府市東山〜神楽女湖・内山渓谷〜地獄谷・九酔渓・五家荘等に転戦。別府市東山のモンクロベニカミキリは、ハラアカコブカミキリの大発生に対する消毒液大量散布で、この2年後には全滅状態になってしまった。

地獄谷は岩本会員の案内で車で2度出かけたが、左は急傾斜の岩肌の崖、右はほとんど樹木が生えていない谷あいで、車がやっと1台通れるくらいの林道、その上、彼は「山犬が出没するので危険だ」などと言っていた。行き止まりまでに、多少のセダカコブヤハズカミキリ他を採集したが、その後、このような危ない林道には2度とお目に掛かったことはない。

後日、来久した「ゴートー徳造」こと大本会員が、さっそくこのセダカコブに目を付け、例によって強引に強奪しようとしたが、「この地のコブは、過去2人だけが採集した個体だから、絶対に駄目だ」と言い、諦めさせた。彼に強奪を諦めさせたのは、過去にこの虫だけである。この個体は、九州中のヒメコブ(セダカコブ)の仲間では際だって違っており、一見しただけで、強引に欲しがった彼の炯眼には、当時敬服した覚えがある。

6月、福岡・佐賀両県境に位置する九千部山〜脊振山遊歩道に、主として「セダカコブとヒメハナカミキリ類」の採集行。
この月には、熊本県−白鳥山・樅木林道・林道川口線・椎葉越・阿蘇仙酔峡・椎矢峠・三方山、宮崎県−椎葉村門割林道、大分県−黒岳・大船山林道・塚原高原など、9回11日出勤。この月の想い出の虫は、塚原のアサカミキリとヒメビロウドカミキリ、仙酔峡のムナコブハナカミキリなどである。

7月、黒岳・大船山林道・塚原・林道川口線・白鳥山登山道・祖母山麓・長崎県千々石。この月は出勤8回、中旬まで梅雨。祖母山麓でクワの大木を掬って2桁採集したイッシキキモンカミキリ。前回採集した時は大塚健之会員の只1頭で、佐賀の森繁利会員から、イッピキキモンカミキリですかと笑われた。

長崎県千々石町橘神社境内でのトゲムネミヤマカミキリ採集行は、チョウ屋の西部泰治氏と同行。当時、久留米市福祉部児童センター主催の「夏休み高良山昆虫観察会」が行われており、説明会の行事終了後、午後5時丁度に出発。130kmの行程の末、日暮れに到着。日没と同時に桜の老木の樹幹を這い回る同種を午後9時までに16♂12♀採集。この年が最も多かった。(児童センターへの協力は、生前の梅野会長への依頼で、夏休みの3日間20年間行った。)

(1993年7月24日児童センターでの昆虫教室)














(1997年8月30日昆虫教室が縁で虫屋になった築島浩樹君と)
















(2002年4月28日昆虫教室が縁で虫屋になった築島基樹君と英彦山北岳にミナミコルリクワガタ採り)
















(2002年4月28日英彦山北岳でのミナミコルリクワガタ採り)
















トゲムネミヤマカミキリについては、今坂正一氏の協力により千葉県の会誌CFIA's NEWS,No.35, 2000. 12)(非文献)に、発表。その後、会員の石蔵拓氏編集の天牛通信11号に、詳細に発表している。近年、同地のソメイヨシノの老木が次々と枯損、切り倒され、本種は2004年夏、小生等がわずかに1ペア採集したのを最後に再発見されておらず、島原半島全体で本種の絶滅が懸念される。

8月、祖母山麓尾平・高森町・泉村五家荘・大官山・脊振山・佐賀県多良山系平谷・熊本・宮崎県境椎矢峠三方山林道・緑川源流清和村。見るべきものはイッシキキモンカミキリとヨコヤマヒゲナガカミキリ、他にキュウシュウヒメオオクワガタ。

このうち、大官山林道では、佐賀の廣川君と同道、伐採中の同地で、帰途中の森林伐採の人から、親切にも小屋に寝泊まりして、野菜等煮炊きして食べて下さいと言われた。夜間採集は夕刻より大雨になってどうにもならなかったが、小屋の中で発電機を使ってテレビを見て過ごした。翌朝は好天に恵まれ、最大の目的であったオオアオカミキリが伐採されたサワグルミに飛来してきたのを、狙って3年目にして初めて採集することが出来た。サワグルミには、産卵に来るものと考えられるが、素早く採集しないと忽ち小鳥が飛来して横取りされてしまう。2人共、ほぼ同時に最初の一頭を採集したときは、思わずニンマリとして、手を握り合った。

(9月につづく)


第12回 虫屋誕生記 (その12)
久留米虫だより No.198 2007.10.15発行

「戦後篇」昭和62年(1987)つづき

9月、泉村林道川口線・椎矢峠三方山林道・白岩山などにヒメオオクワガタ採集行。泉村では、成虫はヤナギの生木にもっとも多く、ノリウツギ・クサギ・ニワトコ・クマイチゴがこれに次ぎ、ニワトコ・タラノキ・エゴノキ等からも採集した。クサギに♀ばかり14頭もついていたことがあったが、これらは採集しなかった。ほとんど廣川会員と同行。白岩山へは足立会員と同行。不思議だったのは、ヤナギには全く止まっていず、ほとんどをノリウツギで採集した。

ここ2、3年、九州脊梁は、台風のため林道が崩れて入山不能で、唯一通行可能な白岩山方面に3年続けて採集に出かけてみているが、日本本土最南端となるスキー場の開設以来、山が荒れて全く本種は見られなくなった。

10月1日、相変わらず廣川君と五家荘へ。林道川口線の最良と考えられたヤナギには、鈴なりにヒメオオクワガタが止まっていた。一連の採集で当日が最も多く、30♂45♀。他にアカアシクワガタ。

タラノキに只一頭止まっていた♂はオオクワガタと見違える50ミリアップ。ただ、左大あごがそっくり無く、彼が♀の採集品は全部差し上げるからこの♂を呉れと言う。私はそんな欠陥品は要らないと言ったのだが・・・。
その後、月刊むしにギネスとして投稿。記録は破られていないが、それ以上の個体を知人2人が採集し、未だに発表していない。後に、「あんなヒメオオクワガタは、丹下左膳むしだろう」と、散々からかった。

こうして得たキュウシュウヒメオオクワガタは、人に分けてもやり、自身では50♂50♀をマウントして、標本箱1箱に収納していたが、他のクワガタ4箱と共に、1991年タイ国旅行中に盗難にあって手元にない。

10月、熊本県俵山・北向山、同行は堤内、大塚健之、まだ東海大の学生だった日下部、村田、そして私の5名。北向山では南阿蘇鉄道の眼下30メートル余の目もくらむような鉄橋を渡り、急峻な坂道を登坂、猪の糞でセンチコガネを採集した。ここのセンチは、祖母山同様、レインボーセンチだった。思い起こせば、この虫は小生の師匠、山内喜三郎氏の名前を採り、戦前の一時期、ヤマウチセンチコガネと呼称されていた。

11月、第6回「温泉つかって酒飲み虫談会」。この会は、昭和57年(1982年)に、別府の岩本常夫会員と小生が企画し始めた会であるが、現在は、九州虫屋連絡会と名称を変え、昨年で29回を数える。この頃は、秋の紅葉の最盛期である11月初旬に九重の温泉地で開催していたが、まだ大分自動車道は日田市までしか開通しておらず、その上行楽シーズンと重なり、往復路共交通渋滞で、福岡から5時間余、北九州からは7時間余もかかったので、後年、11月中旬以降に変更した。多い年は40名以上の参加者があった。

11月29日、長崎昆虫同好会(当時)例会に出席、参加12名。

12月は、5日、6日、13日、27日の4度、佐賀・筑後の両平野へクワガタムシ採集行。この頃、倒木を崩して得られるクワガタの幼・成虫の95%がオオクワガタ。ヒラタクワガタが3%、コクワガタが2%、ノコギリクワガタ・ミヤマクワガタは皆無。柳川市方面の矢部川周辺ではノコギリの幼虫も混ざって採集された。

12月中旬以降は、英彦山のルリクワガタ、別府市東山のモンクロベニカミキリ冬期採集。
椎茸材の上やその辺の小枝の割り出しで、岩本氏曰く、「金太郎飴採集」。後食していない個体のためか、20年経過した標本は今でも全く変色していない。

1987年の出動回数は60回62日。

同行者
有江敬助・足立一夫・井手芳郎・岩橋 正・岩本常夫・大塚健之・小野山勝・樫野征一・日下部良康・高橋隆信・田島研一・堤内雄二・西部泰治・野田 亮・廣川典範・本田良太・村田浩平・森 繁利・吉武 明。
このうち、小野山・樫野・吉武の御3方は既に故人となられている。